綺麗な言葉だけでは言えない愛の話
ジフンさん、お誕生日おめでとうございます。今年もそんなに誕生日は特別ではないけれどと言うだろうジフンさんのことが好きです。今年もどんなブログを書こうか悩んでいるうちに当日になってしまったのであまりにもバタバタな文章だけど、ジフンさんの誕生日は私にとって特別な日だからここに残しておこうと思います。
イエップダの「綺麗な言葉だけを集めて渡したいのに」と言う歌詞が高校生の頃から大好きだった。ジフンさんにはキラキラした言葉しかあげたくないな、と思っていた。
ジフンさんの作る歌が、自分たち自身が主語の歌から、「みんな」が主語の歌になった。shining diamondの荒削りだったぎらぎらをうちに秘めた宝石は、磨かれてその光で周りを照らせる存在になった。
毎日ジフンさんのチッケムを見てありえないくらいの量の写真を保存して、少しずつ寂しくなっていくTwitterのTLを見て、私は社会人になってもガンガンツイートしていくのだろうなと思っていた。実際のところ、それどころか、大学生のうちからなんだかんだ忙しくて、そんな間に新しくジフンさんを好きになった人たちの勢いのある大きな愛をみて、いいなあと傍観する側になった。
大人になってしまったな、と思う。
もちろんまだまだ未熟な部分はあるし、自分が大人だという自覚は全くない。それでも、ジフンさんを好きになったばかりの中学生だった私が、来年社会人になる。
ジフンさんだって、いくら今も赤ちゃんフェイスで10歳近く年下であろうカラットちゃんに可愛い食べちゃいたいと言われてもまあしょうがないか〜と言うビジュアルだったとしても、幸せが何かわからないと零していた少年と青年の間にいた頃のジフンさんから、その曲をカバーされるようなベテランアイドルになった。振られたらやるしかなかった新人のオッパヤ愛嬌も、尖った表情をしていながらもコマプタを作っていたあの時も、fearで苦しんでいた時期を見せてくれた変化の2019年も、もう帰ってこない。正直寂しいし、今が1番好きを更新し続けてるけれども戻りたいことも沢山あって、自分自身もがむしゃらにウジペンしていた時が恋しい。
前はジフンさんに幸せになってほしいとずっと思っていたし、私がジフンさんの苦労を全部背負ってあげたいと思っていたけど、今は誰しも人並みの苦労がそれぞれにあるしジフンさんはジフンさんで頑張って、私は私で頑張ろう、と思うようになった。
これが綺麗な言葉でできた愛なのか、と言われたら多分違うと思う。ここに書いた以外もキラキラした感情ばかりではないし、ジフンさんを美化しすぎていないかと振り返る日もある。それでも、この間のドームに行って、この目でジフンさんを見て、私がだいすきなひとはやっぱりこの人なんだと何度も思わされた。
綺麗な言葉だけでは、私の愛は表現できなくなった。
でもそうやって成長させてくれたのも、ジフンさんとジフンさんが作る音楽だと思う。
去年も似たようなことを書いたけれど、「明日好きである保証はないけれど、きっと明日も好き」だと言ってきたのは、明日好きではなくなるかもしれないという変化への恐れがあるからで、「永遠に変わらない愛」を祈っていたようにも思える。
やっぱり変化がないってことはなくて、私の愛の形は去年の誕生日からもまたさらに変わっていっている。
それでもいつもこころにジフンさんはいるから、これからも一緒に道を歩いていきたいなと思う。
僕はどこにも行かないですから、と笑って言えるジフンさんがすき。人の仄暗い感情を知っているジフンさんがすき。他のアイドルとかアーティストを敵と思っていなくて、常に自分に焦点が当たっているジフンさんがすき。ルビーマイクを作ってもボカチの白マイクを使うジフンさんがすき。いないメンバーの分まで背負うように限界を超えて踊るジフンさんがすき。ライブで笑い声を乗せるためにマイクを口元に持っていくジフンさんがすき。メンバーとカラットのためなら夢を叶えに一緒に走れるジフンさんがすき。
「真心」と言う言葉が1番似合う表情で歌い続けるジフンさんが、すき。
私の、綺麗でも整ってもいない、でもありったけの「すき」が、ジフンさんのこころをあたためる大きな愛のひとつぶになりますように。
221122 ニャムより